心光院—悠久のあゆみ
数百余年の歴史
心光院のはじまりは、明徳4年(1393)、江戸の「貝塚」(現在の千代田区麹町付近)の地に酉誉聖聰上人が増上寺を開山し、山内に学寮として庵を結んだことからと伝わります。慶長3年(1598)、増上寺は徳川家の菩提寺に定められ、現在地である芝への移転に心光院も随行しました。将軍の霊廟や子院学寮をいただく芝増上寺は、浄土宗の東国の要として発展します。やがて心光院は、元禄8年(1695)、徳川二代将軍秀忠公(台徳院殿)菩提のため、増上寺の別院・念仏道場となりました。院内には秀忠公寵愛の白馬を供養した布引観音堂がありました。また江戸庶民にも知られた「お竹大日如来」の流し板が当院に奉納されており、お竹の奇特に感銘をうけた桂昌院(五代将軍綱吉公生母)より、袋と箱が寄進されました。
その後、宝暦11年(1761)、増上寺山内に九代将軍家重公の墓所が造営される際、心光院の場所が近接していたため、三縁山の外境内と称して、増上寺赤羽門外の芝赤羽橋際へ移転しました。江戸幕府より安堵された境内は『江戸名所図会』にも紹介され、増上寺別院の役職を継続しながら町寺としても栄え、明治・大正・戦前へと継承されました。
昭和20年(1945)の戦災により、赤羽心光院の堂舎は空襲を受けましたが、ご本尊の頭部と表門は焼失を免れました。そして昭和25年、区画整理事業により、心光院は現在地へ移転しました。江戸伝来の表門を移築し、本堂は昭和30年に落成しました。やがて増上寺旧境内の一部であった東の隣地には、東京タワーが建ち、心光院と並ぶことで、伝統と近代が融和する魅力的な景観が生まれました。心光院は、永い歴史を継承しながら、開かれたお寺づくりをしています。
心光院では、四季折々にご先祖さまをご供養します。また施餓鬼会と十夜法要は、有縁の皆さまが一堂に会してお念仏に触れられる機会です。
祈りの拠りどころとして、各種法要を執り行います。庭園に連なる静かな本堂・客殿をご利用いただけます。
浄緑の塔と
江戸の伝言に包まれた庭園
浄緑の塔は、当院の江戸の記憶を伝える庭園内に設立した、永代供養の納骨堂です。耐震と防火に優れた構造体を緑化することにより、環境と景観へ配慮し、清らかで静かな納骨空間を実現しました(意匠登録出願中)。普通のお墓と同じように、お花やお線香などのお供えもできます。東京タワーの麓に心やすらぐ時が流れています。
当院の墓所は、仏さま、お地蔵さまに見守られる、都心にありながら静寂なやすらぎの場所です。
平成29年10月22日
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